遠藤 直幸(Naoyuki ENDO)

尺八/インタビュー活動

「その後の藝大生ー「プロ」にならなかった人達」https://note.com/free40/n/nc619f84f69b3

プロフィール

芸名は遠藤頌豆(Shoto Endo)。1980年、福島県生まれ。高知大学のサークルにて尺八を始め、22歳で上京。

東京藝術大学の別科と大学院を修了。

全国コンクール入賞や海外演奏などキャリアを積み、演奏家を目指し活動していたが、様々な壁を前に挫折。

現在は東京郊外に在住し、尺八だけでなく様々な活動を通して自己の芸術を探求している。

現在はどんな活動をされているのでしょうか?

大学で尺八を学んだ後、卒業して約20年、様々な活動に関わって生きています。活動は、大きく分けると5系統あります。演奏、図書館に関すること、マイノリティの人々との関わり、インタビュー活動、アルバイト。

演奏は尺八ですね。一番力を入れているのはボランティア演奏です。福祉施設を定期的に2箇所、そして依頼があればスケジュールをみて演奏にいってます。ボランティア演奏は演奏する側も、聴く側も、良い意味でハードルが低いので、その場でプログラムを変えたりふざけたりしながら、楽しくやってます。

図書館では、図書館協議会(図書館の外部評価委員)と、読書会の開催をしています。元々本が好きで、今住んでる街の図書館の館長さんと仲良くなり、図書館の在り方を考えたいと思ったのがきっかけです。先日開催したのは、リサイクル読書会。要らない本を持ち寄って交換しましょうというものでした。図書館にポスターを貼って宣伝しているものの、それだけでは申込む人はいないので、駅前でビラ配りをしています。目立つ格好をすればビラを受け取ってもらえるんじゃないかと思い、着ぐるみを着て配るようになりました。そしたら、もらってくれるひとが増え、それ以上に、その様子を面白がってくれる人が増えたんです。着ぐるみは、バカバカしくあればあるほどウケます。楽しくて、最近はビラ配りが目的になってきています。

マイノリティの人々との関わりについて言えば、ここ4~5年、引きこもり家族会というものに参加しています。引きこもりや生きづらさに関する本を読んでるうちにリアルでつながったら面白いんじゃないかと思い、見学したいとメールしたところ、いいですよと受け入れて頂き、毎月参加するようになりました。通ううちに、ホームパーティーや飲み会、あとはギターを趣味でやってる方がいて一緒に演奏を楽しんだりするようにもなりました。僕自身は引きこもりではないし、その家族でもないけれど、自由な立場で発言できる異分子的な存在として、仲良くして頂いているように思います。

4つ目に挙げたインタビュー活動は、最近始めたものです。藝大生の卒業後について興味があって調べています。「その後の藝大生ー「プロ」にならなかった人達」というタイトルで、6人の方に話を聞き、ようやく1記事をnoteにUPしたところです。皆さん、なぜ芸術をするのか。お金にはならないことが多いし、はたから見れば変なことを本気でやっている。そしてプロにならなかったことをどう受け止めているのか。もちろん、みんながプロを目指して藝大を出るわけではないにせよ、皆さんがどう生きようとしているのかを知りたいと思っています。

アルバイトはコールセンターで15年ほど、週3回10時間働いています。ゆるい不思議な会社です。始めた当初は、寝坊で遅刻したり、無断欠勤もしたりと相当にめちゃくちゃでしたが、なぜか皆さん優しく接して下さって、居心地よく今も続いてます。ちなみにもちろん今は無断欠勤も寝坊もしてないですよ(笑)。

たくさんの活動の中で、共通する関心事項はありますか?

どの活動においても、結局のところ、相手はそれぞれ人間なので、「この人とこの瞬間の関係性をより良いものにしたい」と思っています。

関係性にも会話にも、たくさんの可能性があります。例えば、電車に乗ると、多くの人が乗っていて、「これ、話しかけることはできるのかな」と思ってしまいます。もし話すことができたら、この時間は豊かになるかもしれない、それをみすみす失っているのかもしれないと。さすがにしたことはないですけれど。そうやって、コミュニケーションの可能性を探りたいと思っています。

コミュニケーションは、上手くいくことだけが正解ではないと思います。「この人、面倒くさそうだな」と思うことも含めて関係性ではないでしょうか。思っていることを投げかけてみて、関係性が続くかどうかは未知数ですが、その不確実さが面白いのだと思います。

最終目標は、他人やこの世界とどう関係性を作るかということ。僕がしていることの多くは、そのための活動です。

偶然出会ったその人やたまたま居合わせた場との関係性を生きたいと思っています。

遠藤さんがたくさんの活動を行う中で、「お金を稼ぐ」とはどのような位置づけですか。

お金のために働く時間はなるべく短くしたいと思っています。今の収入は1週間に30時間働くアルバイトと、演奏や図書館協議会の謝礼が少し。楽しく稼げたらいいけど、現実的には難しいので、家賃2万円台のアパートに住み、お金を必要としない生活をしています。

アルバイトは気楽な職場ではあるものの、どうしてもポジショントークや本心でない言葉を使ってしまうことがあるので、自己矛盾を感じながら働いています。

お金はあるほうがいいと思いますが、できればお金がなくてもなんとかなるよねという生き方を目指したいと思っています。

音楽への向き合い方は、時と共に変化がありましたか?

 藝大にいた約20年前は、就職活動をする人はほぼおらず、周囲ではアーティストになるのが成功だという考え方の人が多かったです。そのために演奏は絶対に上手くなければいけない、プロを目指すんだからどんな依頼でも無理してやるべきだと思っていました。自分なりに頑張ってはいましたが、当時はその価値観を内面化しすぎて、上手く演奏できない自分や、仕事をこなせない自分を責め続けていました。

僕は尺八を、2度辞めています。1度目は20代後半。2度目は30代半ばです。

 2回の挫折を経て、もうこれ以上は上手くなれないし才能もないだろうと思い、それならいっそ上手い下手ではない音楽を目指してみたいと思うようになりました。そう思い始めてから「まだやれることが沢山あるかもしれない」と思えるようになりました。主体的に動けるようになり、同じ考え方をもった方と知り合う機会も増えました。

これからどのように生きていきたいですか?

変な表現になるんですが、その場のノリで生きていきたいと思います。目的や目標を敢えて持たずに、その場の可能性を常に探りながら生きたいと思っています。目的を決めすぎると軸足が「今」から「未来」になるんですよね。そうすると途端に「今」が窮屈になっていくんです。

これは僕にとって、人間関係におけるモットーでもあります。立場や関係性を定めすぎず、対等な人間として互いに自然に振る舞えるような関係性を築くことが理想です。

読書会などのイベント、演奏の場、お金の稼ぎ方、人との関係、常に可能性と偶然性に開かれたものにしていきたいと考えています。

”今回伺った遠藤直幸さんの考え方には、これまでの試行錯誤や葛藤を経て独自のモットーに行きついている、心強さがあります。活動は多岐に渡っておられますが、話を伺ううちに、人との関係づくりという軸が見えてきました。
インタビュー活動「その後の藝大生ー「プロ」にならなかった人達」では、プロ(お金を稼いでいたり、卓越した技術があったり、やらずにはいられなかったり、プロと言い切ったりする人々)ではない生き方を選んだ藝大生のその後の考え方へ、強い関心を持たれていることが伺えます。今後のインタビュー活動の展開に注目すると共に、ひよこアーツとしては、互いにレビューをし合える関係になりたいと思っております。”

箏曲演奏家 / 大学院生

プロフィール

大阪府和泉市出身。東京藝術大学音楽部邦楽科生田流箏曲専攻を卒業し、卒業時には皇居内桃華楽堂にて御前演奏を務める。東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程を修了。
中学高校時代は真っ黒に日焼けしながら、コンクールに出るなど、部活動と音楽活動の両方に全力投球。現在は、古典曲から現代曲まで幅広く演奏を行うと同時に、学校公演やアウトリーチの後進活動にも力を入れる。
2008年、全国小・中学生箏曲コンクール【小学生の部】銀賞を受賞。
2019年、K邦楽コンクール 【現代部門 一般】特別優秀賞(第1位)、宮城道雄記念コンクール【一般の部】第3位を受賞。
宮城社教師。箏曲宮城会、同声会、森の会、深海邦楽会各会員。一般財団法人令和4・5年度公共ホール邦楽活性化事業登録演奏家。和楽器集団「鳳雛」、「和楽器オーケストラあいおい」、「箏アンサンブル十色」メンバー。

現在、何をしていますか?

演奏活動はもちろんのこと、学校公演やワークショップなどの企画立案を積極的に行っています。
他にも、レッスンや演奏会の裏方をしています。令和4年度5年度は、一般財団法人地域創造にて経験豊富なコーディネーターと共に公共ホールの活性化事業に参加致します。

キャリアについて考えることを教えてください。

将来のキャリアについては、ずっと悩んできましたが、決めなければならない分岐点になると、自ずと結論は出て来てその方向へ進んできました。 何か一つを極めることも凄く魅力的ですが、私は飽き性で色々な事に興味があるので、自分がどういう人物になりたいかを指針としてこれからも歩んで行きたいと思います。

身を置く環境によっても、価値観は変化していくものだと思うので、その刺激を楽しみながら人生が送れりたいものです。叶えられるかわからない野望は、『芸術に触れられる複合施設を作る』ことです。実現へ向けて頑張ります。興味がある方は、是非お力お貸しください!!

なぜ箏を始めたのでしょうか?

この道に進んだきっかけは、母が地元で箏を教えていたことですね。でも、本当に小さな教室でしたし、母も私に進んで欲しいというわけではありませんでした。

そんな折に母の師匠(私の父の叔母)が亡くなり、追悼演奏会で、私は少しだけソロ部分を演奏しました。目立ちたがりだった私としては、ホールでの響きと空間がとても印象に残りました。この経験が箏へ本格的に取り組むきっかけの一つといえるでしょう。

進学時にはどんな考えを持っていましたか?

東京藝術大学進学は、小学生の頃から決めており、途中横道に逸れたりはしまし たが、私の長年の目標でした。行きたい理由として、自分が見たことのない世界を見た い、洋楽器や美術や色々な人と知り合いたいと思っていました。 その後、予定にはなかった大学院に進学しました。理由としては、自身が時間をかけないと出来ないタイプだと改めて感じ、4年では足りなかった、ようやくほんの少し 何かが見えた気がする、などの気持ちから決断しました。

これから、どんなことをしていきたいですか?

今の目標としては、箏曲界が少しでも身近にな存在となる”橋がけ”を自分の出来るところから広げていきたいです。 また、業種を問わず優秀な方々は本当に沢山いるので、そういった方々と触れ合い続けて、少しでも何か得続けることができたらいいなと思います。そして、自分が面白いと思えることに失敗を恐れず挑戦していきたいです。

いつか、みんなと何か大きな形に出来るようにキャリアを積んで行きます。

FujishigeNanako

箏奏者

プロフィール

1998年 岡山県倉敷市生まれ。3歳より箏を、8歳より三味線を10歳より胡弓、鼓(太鼓)及び華道をはじめる。
2015年 第25回全国高校生邦楽コンクール第3位入賞。
2018年 東京オリンピック開幕2年前イベント「みんなのTokyo 2020 2Years to Go!」にて演奏。
2020年 歌舞伎座にて「千人鼓の会」ギネス記録達成。
2021年 東京藝術大学音楽学部邦楽科箏曲生田流専攻卒業。
2021年 第4回K邦楽コンクール邦楽部門、大学・一般の部で奨励賞受賞。
2021年 吉崎御坊伝統芸能新世代コンクール箏曲部門、青年の部で吉崎御坊賞受賞。

その他各地の寺院及び重要文化財にて奉納演奏を行う。これまでに川瀬白秋、深海さとみ、鈴木操秋の各氏に師事。

現在、何をしていますか?

いろんなご縁、いろんな場所で演奏をさせて頂いております!

何の予定もなくこの春に大学を卒業したのだけど、この数か月で急に、演奏につながる多くの出会いに恵まれました。例えば、先生経由でご紹介いただいた方、たまたま知り合った演奏会企画者、大学の同期、公園で友達を待っていたら出会ったジャズミュージシャン等々…!

キャリアについて考えることを教えてください。

最近少し気を付けているのは、人との出会いを大事にすることです。例えば『また会おう』みたいな、社交辞令で終わっていたやり取りも、『じゃあいつにする?』って、機会を作るように心がけています。

今の私に出来ることは時に身を任せて経験を積むことだと思っています。でも将来的には自分の道を決めてお箏を弾き続けたいので、模索中。

なぜお箏を専門にしたのでしょうか?

お箏は、母方の祖母と母がしていて、身近に他の和楽器も多い環境で育つうち、気づいたら弾いていました。

藝大に行くことを決めたのは高2の時。いわゆる進学校には通っていたけれど勉強して行きたいところは特に思いつかず、『私にできることは箏しかない!』と思ったんです。

大学時代には将来をどんな風に考えていましたか?

私は在学中から将来についてはノープランで、だけど、『ほんとに箏で生きていけるんかな?』って不安だけはありました。そう思っているうちに卒業しちゃったの!今は、いろんなご縁があって本当によかったな~と思ってます。

箏で、卒業後の活動としてメジャーなのは、コンクールに出る・教室で教える・演奏会に出るなどだと思います。私も、実績を積むために頑張ります。

  • SuzukiNorika