吉田 昂平(Kohei YOSHIDA)

プロダクトデザイン

吉田さんはどのようにして、プロダクトデザインを仕事とするようになったのでしょうか。

僕は大学院を卒業して、FRASCOという会社で、CGクリエイターを4年弱していました。その後、銭函にある8Aガレージプロダクトで働いた後、正式に吉田造形研究所をメインとして掲げるようになりました。それが2022年の話。

CGの仕事をする前から、将来的にプロダクトデザインをしたいというのは話していて、入社前から、副業として個人の活動の許可を頂いていました。

僕がCGで作っていたのは、パース絵と呼ばれる、建築の完成イメージ図のようなものです。建築学生の時からパソコンで3Dモデリングをするのが得意だったし、これを磨けばプロダクトデザインの能力は間違いなく上がるなって思って。建築設計に戻ろうと思えば戻れるし。

ということで、3DCGで造形能力を伸ばしながら、副業でプロダクトデザインをして仕事を取れるようになるってことがFRASCOにいるときのミッションでした。

初めてプロダクトデザインで仕事を得たのは、仕事で参加した異業種交流会でのことでした。そこで知り合ったつてでキャンプアイテム(キャンプギア)を作りたいという話があって、それが2020年の秋くらいだったと思います。AEGISっていう名前で、折り畳み式の風防&五徳を作りました。中に火を入れて、風を防ぎながら、飯ごうを乗せたりするものです。経験の浅い僕に任せて頂けた分、必死で頑張りました。

風防&五徳 AEGIS https://onlineshop-p.8agarage.co.jp/items/67848880

現在の活動の中心である吉田造形研究所はどのように始まったのでしょうか?

2021年の10月くらいから動いてはいました。3人体制で拠点を持って始めたのは2022年の1月。それから事務所移転をして今に至ります。

初期メンバーの吉田拓と話していて、2人とも吉田だし、吉田造形研究所って面白いんじゃないかなというのがきっかけ。吉田拓については、数年前から噂を聞いていて、建築設計者の集まる交流イベントで直接の接点を持ちました。

もう一人の初期メンバー、吉田大とは、僕が大学3年の時に、佐呂間の建築事務所でオープンデスク(建築業界のインターンシップのようなもの)をしていた時に知り合いました。それ以来、たまにやり取りはしていたけど、そのうち会わなくなっちゃった。でもふと、街なかで仕事中の彼を見つけて、「えっ、何してるの?!」と久しぶりに再会しました。

吉田拓と吉田大は僕の知らないところでつながっていて。いつの間にか3人がつながったので、「じゃあ皆で飯でも行きますか」となりました。その時は吉田大が面白いプロジェクトを持っていて、僕もやりたいと言って加わったんです。その後、「次は3人でやってみよう」って。

これからの夢やビジョンはありますか?

プロダクトデザインには、数多く流通する製品を作る仕事から、一点ものを作る仕事まで、幅広くあります。今はどちらかというと一点ものの仕事が多くて。「それって彫刻に近いかも?」って思ったり。おこがましいのかな?彫刻家ってなんだろう…。そんな感じで、先の未来を考えています笑。

もっと近い未来の話をすると、今事務所がある苗穂で、地域のいろんな活動に関われたらと思っています。今の事務所は、元々、まちづくり協議会が使っていた場所。建物の管理をしているノーザンクロスの担当者も苗穂を盛り上げようとしている。近所の人たちとも積極的に繋がって活動していきたいです。キッチンカーや屋台もデザインさせてもらった事があるので、地域のイベントに来ていただいたら盛り上がるかなとか。

最後に…キャリアや進路を考えるうえで、何が大事だと思いますか?

自分がしたいことを実現するために大切なことは何か、考えるようにしています。

そしてやっぱり、とにかく、今考えていることを人に話すことかなと感じてます。明確なビジョンや目標。何をしたいのか。

8Aガレージの社長に、会社のある銭函まで札幌から毎週送ってもらっていた時、車内でいろんなことを話しました。経営のノウハウとか、人間関係とか、人生相談とか。その中でも、とにかく人に話して相談することが大事だと仰っていて、今振り返ってもそれは本当に実感します。たくさんの方々に支えられています。

吉田造形研究所/YMLとは?
北海道札幌市を拠点にプロダクトから建築、コトづくりからモノづくり、それぞれの異なるデザイン経歴を織り交ぜたアプローチで、振れ幅のあるデザインの提案を行う造形ユニット。スケールに捉われず、デザインの可能性を日々探求している。2021年に結成。これまでの実績として、展示什器、キャンプギア、キッチンカー、店舗内装など幅広い作品を手掛ける。プロジェクトに応じて、設計から施工までを一貫して行う。

”近所の交流会で出会った吉田さん。人をしゃべりたくさせてしまうような不思議な話術に、あっという間に取り込まれてしまいました。お話お聞かせ下さり、更には企画の相談にも乗って下さり、いつも本当にありがとうございます。「作りたいもの」のこだわりを持ちながら、経営と制作の両面から活動を開拓していらっしゃるなと感じています。
札幌の苗穂駅前地域は、新しいものと古いものが混在しており、また、アート関連の拠点もいくつかあり、面白い場所です。今後のご活躍を楽しみにするとともに、いずれ何かご一緒できたら嬉しく思います。”(聞き手:戸島由浦)

どんぐり企画とは

どんぐり企画とは、鳴海遥真(兄)と菜歩(妹)が立ち上げた演劇企画。”私たちの描く非日常は、誰かの日常かもしれない “をコンセプトに、会話劇を中心とした演劇活動を行う。
2022年9月に第1回公演「いつか、どこかで、だれかの」を神戸にて上演。現在はコアメンバー5人で活動中。

お二人は、いつから演劇を始めたのですか?

菜歩:高2の冬、進路を考えるときに、やりたいことがなかったんです。ただ、本を読むのもドラマや映画を観るのも好きでした。そこで、好きだけどできないこと、やったことのないことはなんだろうと考えたら、それが演劇でした。
読んだり書いたりするときに頭の中で映像化していることを、自分の体を使って表現できたら楽しいんだろうなと。そう考えて、演劇をやりたいと思うようになりました。

鳴海:元々演劇が好きというわけではなかったんです。でも、高校の文化祭で、毎年クラスごとに演劇をやるという行事があって、何故か高1の時から脚本を書いていました。それがきっかけでした。小さい頃から本を読んだり、ドラマを見たりしていて、どこかで作り手に回りたいという思いがあったのかもしれないですね。当時から、派手さで見せる舞台よりは、メッセージ性のあるものが好きで、高校時代は楽しかった分、大学でももっと演劇を深めたいと思って、演劇サークルに入りました。

どんぐり企画はどのように始まったのでしょうか

鳴海:大学では4年間演劇をしていましたが、社会人になったら、そんな余裕はないだろうと、演劇をキッパリ止めようと思っていました。ですが4年生の時、新型コロナウイルス感染症の影響で、卒業公演ができず不完全燃焼だったんです。また、実際に働いてみたら土日は暇だし、演劇できるじゃん!となりました。少しやってみて、活動できそうだと感じたので、いくつかの団体にも参加するようになりました。ちなみに仕事は、広告系の企画制作会社で働いています。文章やコピーを書くのが好きで、今2年目です。
こうして演劇を続ける中で、他人の劇団で迷惑はかけられないし、自分の好きなときに好きなようにできる場所を作りたいと思うようになりました。そこで、妹に声をかけて始めたのが、どんぐり企画です。この界隈では兄妹企画というものがあまりないのと、妹に脚本を書いてもらおうということも考えていました。

菜歩:私は、大学に入ったものの新型コロナウイルスの影響で授業がオンラインだったので、やりたかった演劇も思うようにできず…。
そこでとりあえず休学して、ピッコロ演劇学校に本科に週2回、1年通いました。そこで初めて演劇をしっかり学びました。その後、2月ごろ、ちょうど復学を決めたタイミングで兄から連絡がきたんです。「兄妹企画みたいなのやらん?」って。面白そうだったのでノってみたら、脚本をほぼ初めて書くことになりました。
短い脚本なら一度、中2の時に書いたことがありました。「眠れる森の美女」をもじって「眠れる山のおっさん」という題で、宿泊行事のクラス発表で。でも皆お芝居なんて初めてだから、全然上手くいかなくて。悔しかったです。

鳴海:「兄妹企画みたいなんやらん?」「詳しく聞こうじゃないか」これが始まりでした。妹は本を読んだりドラマを観たりしていて、物語を書いているのも見たことがあったので、脚本を任せてみたいなと思ったんです。

どんぐり企画で、作りたい作品や、観てほしいお客さんはいますか?

菜歩:どんぐり企画では、演劇を知らない人にも共感しやすい、日常というテーマを扱っています。小劇場を観に行くと、分かる人にしか分からない作品も多いんですよね。中高時代から、皆、演劇には興味がないんだなと感じていました。そういうのを変えたいと思って。
だから、演劇関係者でも家族でもない人に、本当は観てほしいです。彼らの目に留まる方法を探したいと思うけど、難しいですね。

鳴海:演劇は演劇関係者だけで経済が回っている。制作や広報をするときに、よく心に留める言葉です。映画やドラマみたいに、演劇に興味のない人も、観て楽しめる作品を作りたいと思います。
今回の公演は、私たちの親戚も含めて、普段演劇を観ない人も来てくれて、彼らからは好評だったのが嬉しかったです。最初はそうやっていろんな人が来てくれたので、僕たちにとってはある意味、第2回の公演が勝負かもしれません。

第1回公演に向けては、どんなふうに進んだのでしょうか?

鳴海:演劇だけでなくて、いろいろな企画を出来たらと思っていたので、”〇〇劇団”という名前にはしたくなかったんです。「どんぐり」という名前については、祖父母が開いている、どんぐり文庫という、本を貸し出す小さな図書館にルーツがあります。祖父母も高齢になってきていて、いつまで続けられるか分からないので、形態は違うけど名前を引き継げたらいいなと考えました。

菜歩:私も兄も、どんぐり文庫で本に囲まれて育ちました。それがなかったら私はたぶん演劇に興味を持っていなかったと思います。
公演に参加するメンバーは、知り合いをスカウトしつつ、SNSなどで一般公募しました。

鳴海:知り合いばかりになると、身内ノリになってしまう。誰が来るか分からないリスクはありますが、外からの意見を取り入れて、開かれた集まりにしたいと思いました。

菜歩:実際、大学生から社会人、私の演劇学校の知り合いまで、いろんな方が来てくれました。

これから、どんぐり企画とお二人それぞれは、どのように進んでいくのでしょうか

鳴海:私には仕事があるので、お芝居は平たく言えば趣味のようなものです。好きなことを好きな人と作り、それをある程度たくさんの人に見ていただくということを、5年10年、変わらないスタイルでやっていきたいです。参加する役者や、脚本を書く妹が、そこから発展して社会に評価してもらったり、どんどん成長してくれたりすると嬉しいなとは思います。生活に直結していないからこんなことを言えるのかもしれないけれど。

菜歩:今、演劇をしたいと言っている兄がいて、演劇ができて脚本が書ける場所があるという、私にとってはとてもおいしい状況なんです。どんぐり企画の方向性については、言い出しっぺの兄が好きなようにすればいいかなと思ってます。例えば、大きくなりすぎると、これまで参加してくれたような社会人が演劇をする場がなくなってしまう。だから、今の規模感でいいんじゃないかな。
どんぐり企画とは別に、自分自身がこの先演劇にどう関わるのかは、これから考えていきたい部分です。

”お話ありがとうございました。本に親しんで育った2人が思い思いに進み、いつしか演劇に関心を持ち、交わってどんぐり企画を立ち上げたという経緯、とても興味深かったです。社会人と学生、まだまだ状況は変わっていくと思いますが、その時々の生活とのバランスを取りながら、時に冷静に、時にどん欲に、作品を作り続けていくのではないでしょうか。”(聞き手:小澤杏実、戸島由浦)