諏訪部 佐代子(SUWABE Sayoko)

大学院生/画家

WEB:https://www.sayokosuwabes.com/

プロフィール

2015-2019 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻

2019- 東京藝術大学大学院美術研究科グローバルアートプラクティス専攻

2022 メルボルン大学美術研究科 ヴィクトリアンカレッジオブアーツ 交換留学

絵画作品のほか、インスタレーションを主軸として、パフォーマンスや彫刻など幅広いメディアで問いかけている。

今、何をしていますか?

今、オーストラリアに留学しています。

大学に行く半年を終えて、そのあとは、作品制作や仕事などをしながらオーストラリアのアーティストコレクティブでインターンシップをしています。

2017年から交換留学に来たいと計画していて、2020年にオーストラリアへ来るつもりが、感染症拡大の影響でオーストラリアの国境が閉じてしまい、3期ほど交換留学が延期しました。その度に学期を延長するべきか悩んで悩んで、ようやく国境が開いた2022年2月21日にオーストラリアへ来られた!という感じ。

交換留学の奨学金が在学中でないともらえないため、アルバイトやアートプロジェクトを日本でしながら最後の最後まで粘って学生で居続けさせてもらい、今に至ります。

学生であることは権利だと思っています。交換留学生だからこそアクセスできる資料や体験がどうしても欲しかったのです。最終的にオーストラリアへ来ることができて、待っていた時間は無駄じゃなかったとようやく思えるようになりました。

留学する前はどんなことを考えていましたか?

留学に行けなかったコロナ中は、自分のネガティブな部分をめちゃくちゃ見つける機会になりました。元々続けていた日記とは別に、その日に絶望したことを置いていこうと、絶望ノートと希望ノートというのを書きはじめました。

最初はとにかく行きたかったところに行けない絶望感が強く、絶望ノートを書いていたのですが、担当教授や友人に、それより希望ノートを始めた方がいい!と明るく言われて新しくノートをつくりました。今日は西日がきれいだった!とか、ちゃんと上着を掛けた!とかそういう小さなことを書いていくノート。オーストラリアでも続けています。

就職をするかどうするかも一時は迷いました。定期収入が無いと生きていけないので…。就活も一度真剣に考えて、髪も黒くして、写真もとって、履歴書も埋めて、会社も調べて。でも、失礼だなと思っちゃったんですよね。会社のことを一番に考えられないのに、入っていいんだろうか、って。留学もしたいと思っていたわけだし。週5で働くと、制作の時間も取れないし、時間を取って海外に学びに行くことも難しいし。だから考えに考えきってやめました。

同じように留学が延期になっていた君島と、荷物をおく場所としてNULLNULL STUDIOの構想が始まりました。そのうちに、絵も描けたらいいじゃんってことになって、スタジオ兼展示スペースになっています。自分たちのベースになる場所、自分たちのたつ地面がある場所ということは大きかったです。おかげさまで取手VIVAでプロジェクトをやる機会もいただけました。

なぜオーストラリアに?

オーストラリアに来たのは、もともと哲学の本や評論文を読むのが好きで、そのなかで出会ったとある先住民部族の考え方に惹かれたことがきっかけです。

過去とか未来とか昨日とか明日はなくて、先祖や子孫はみんないっしょくたになって、今という時間だけに漂って生きているという考え方。私も昔から似たことを考えることがあって、それってけっこう真理に近いんじゃないかと思って惹かれました。

自分っていう存在が部族と同一化している、というのもあって。それを聞くと、自分のアイデンティティって何だろう、ってなるじゃないですか。そういうところに刺激をもらいながら制作をしたりしています。

あと、教育と社会と芸術がすごく近くて柔軟だなと思っていて。アートの敷居が高くなくて、人とアーティストがすごく近い位置にいる、その現場を見てみたいなと思いました。今お仕事をさせていただいているアーティストコレクティブで、そういった学びたかったことを学んでいます。

キャリアということについてどのように考えていますか?

自分の人生については、自分が心に響く何か言葉が欲しくて人に助けを求めるとか、限られたタイミングのなかで、悩めることは悩み切っています。そのたびにノートに書きだすとか。「アーティストのためのハンドブック」が高校生の時からのバイブルです。

数年前、not for saleと題して、どうやってアーティストとして生きていったらいいかを、周りの人たちと会話する中で見つけていこうというプロジェクトをしたんです。それを発展させる形で、最近、ドイツの現代アートの祭典「ドクメンタ15」のサマースクールで、海外の大学院生や博士の学生に対してワークショップをしました。参加者の特技を他者から評価してもらう、っていうことをして。結構面白い会話になって、すごくいい経験になりました。

天邪鬼なんですよね、反対されるとやりたくなっちゃうから、こうなっちゃったって感じ。ある景色を目指して山に登るということができない。だから、先が見きれないこの道を選んだのは必然だったのかなと思います。自分がやりたいことはどう生きたって決まってるので、一つずつやりきっていきたいです。

これからどうしていきたいですか?

アイデアはいっぱいあって、自分が作りたいものにずっとワクワクする人生を送りたいなと思っています。何かものと出会った時に起こる化学反応みたいなもの、考えの転回を制作と展示の中でずっと求めている気がします。私だけでなくそれが誰かの転回に繋がってくれたら、作家としてそれ以上のことはないと思います。最初の2~3年は海外と日本を行き来しながら制作していきたいです。

私の美術の原点は子供の時から習っていた現代芸術家の先生。
もう亡くなっちゃいましたけど。私に人を驚かせるような変なものを作りなさいといつも話していた先生でした。
私もいつか子どもたちに、こんな適当な変な大人がいていいんだと思ってもらえるような、そんな存在になりたいですね。

NULLNULL STUDIO

君島英樹と諏訪部佐代子によるアーティストコレクティブであり、共同のスタジオ兼展示スペース。

ACCESS:茨城県取手市井野1-7-7サンハイツ取手101

     取手駅徒歩10分(ピンクのカーテンが目印)

  

君島英樹(KIMISHIMA Hideki)

図工・美術非常勤講師/画家

WEB:https://www.kimi-artwork.com/

プロフィール

1995年生まれ 神奈川県茅ヶ崎市出身

2015.04  東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻入学

2019.04  同大学院美術研究科油画専攻(壁画分野)入学。2022.03 同大学大学院 壁画第二研究室修士課程修士課程 修了

2021年2月に茨城県取手市にNULLNULL STUDIO(共同アトリエ)をオープンし、現在、取手市を拠点に、都内で多くの展示に参加中。

茨城県内の中等教育学校にて、非常勤講師として図工・美術を教えている。

どうして先生になったのでしょうか?

制作がしたくて修士に進んだ後、生きていくうえでお金どうすりゃいいんだろうと思って。でも朝から晩まで働くって無理だなと思って。非常勤の先生になりました。 

企画で知り合った人でもともと教員だった方がいて、「教員やりたいんすよ」、と話していたらだんだん本当になったんです。「やるならやるでしょ」と、県の教育委員会に書類を持って連れていかれました。「郵送で良かったんですけどね」とか言われましたけど。(笑)

働いているのは週3日ですね。全然制作できないな、とは思います。自分で全部準備しないといけないし、成績もつけないといけないし。よりよい美術室にしたいし。なかなか難しい。

でも、教員をやり始めて、興味のない児童、生徒たちにどう、美術をするうえで大事なことを伝えられるかな、というのを意識するようになりました。今は「観察をしよう」ということを伝えてます。どうものをみて表現するか考えさせるとか、早く終わらせてしまう子なんかはどんなところにこだわりがあるかなんか尋ねるようにしています。

美術の道に進もうと思ったのはなぜですか?

高校の美術の先生にお世話になって、僕もこうなりたいと思ったことで美術の先生を目指しました。

運よく東京藝大に受かって、、美術の先生を目指して、大学4年時に教育実習に行きました。でも、そこで先生の理想と現実を目にして、疑問を感じたところがあって。考えたら先生って、20代前半で卒業してなるんですよね。それでほんとに指導できるのかな…と。教えられるようになるように、社会をもっと知っておきたいと思いました。

ちょうど同じころ、作品制作もやりたくなってきて、大学院に進みました。

NULLNULL STUDIOを作ったのは自身にとってどんな経験でしたか?

中国留学を計画していたところ、感染症が流行してしまい、延期になってしまい、休学中どこで制作するかと思って、友人と共に、NULLNULL STUDIOという、スタジオ兼展示スペースを作る計画がうまれました。スタジオをつくったのはお互いにとって大きかったです。いつでも制作できる環境があるのは大きいと思います。

かなりの数、物件を内見に行きました。いい場所を見つけたけど持ち主が分からなくて法務局へ行ったりもしました。一から壁を立てるというのがいい経験になったと思います。

内装を自分たちで、施工してもいいと言ってくれる賃貸なんて、なかなかないですよね。借りたときは大家さんが直接管理している建物で、おばあちゃんがオーナーでほんとに感謝しています。残念ながらオーナーさんが代わり今は不動産が仲介するようになりました。今は、不動産屋が仲介してます。

自分たちで空間を作り直すっていうのはある種アーティストにとって必要なことだなと思いますね。作品づくりでの素材選びじゃないですけど、壁を立てる上でどういう素材が必要なのかとか、工具とか、ネジとか椅子とか… そういういままでずって適当にやってたものがやっと理解できたというか。

今後どうしていきたいですか?

まずは、コロナで行けなかった中国留学かな。学校を急にはやめられないけど。

去年1年、授業準備に時間を費やしてしまったので、制作する時間を確保したいですね。ストレスなく価値ある仕事にしないとなと思っています。何はともあれ楽しく仕事したいな(笑)

将来的には自分でななにか起こしたいな、と思ってます。展示しているかは分かんないですけど。40~50歳とかになったら、カフェ兼ギャラリーみたいな、自分の場所を持っていたいです。

優柔不断で締切り30分前まで悩んでいるタイプなんですけど、段々と知り合うジャンルや人が増え、相談できる相手やイメージが広がって、大人になったな、と思います。

NULLNULL STUDIO

君島英樹と諏訪部佐代子によるアーティストコレクティブであり、共同のスタジオ兼展示スペース。

ACCESS:茨城県取手市井野1-7-7サンハイツ取手101

     取手駅徒歩10分(ピンクのカーテンが目印)

アート教室/画家

アトリエコリーヌ:https://atorie-colline.amebaownd.com

プロフィール

2014年 地域新聞社記者
2015年 アトリエコリーヌ始動
2021年 アトリエコリーヌ展示会
     いたばし画廊共同代表

現在、何をしていますか?

2年ほど前から、「アトリエコリーヌ」というアート教室を開いています。

知的障がいがある方もない方も、制作を通してつながり、自分らしくいられる場所を目指しています。

絵は、どのように始めたのでしょうか?

小さいころから絵を描くことが好きで、母がほめてくれたことで自信にもつながりました。オリジナルの絵を描く楽しさを実感したのがその頃だったと思います。

小学生から近所で油絵を習っていましたが、習い事としては特に好きというわけではなかったです。

進学や就職の際はどのように考えていましたか?

私は、美大には結局進みませんでした。成長するにつれ、技術力が求められて、自信がなくなってしまって、ゆるく、好きに続けられたらいいかなと思っていました。

大学卒業後は一般企業に就職して、事務を長くやっていました。当時は、創作をしたい気持ちに蓋をしていたところがあったと思います。

どのように今の活動にたどり着いたのでしょうか?

子育てと仕事の両立で悩んだのがきっかけで、地元の新聞社や区議会議員事務所で働くようになりました。地域で働く中で、パステルアートや臨床美術士という民間の資格を受講していたこともあって、アートを通じて人とつながる機会が増えていきました。

そのうちに、アートの楽しさを一人でも多くの人に伝えたいと思うようになりました。

教室を始める時には、どのように考えていましたか?

初めは、看板を掲げるほどの自信はなかったです。でも、自分らしい活動の時間を持ちたいという気持ちはあり、周りに勧められたのもあって、思い切ってやってみようと思いました。

教室を開く場所や最初の生徒さんとも人づてにつながることができ、最初は月一回くらいのペースで、緩やかに始めました。人のつながりは大事ですね。

これからどうしていきたいですか?

去年、教室メンバーの展示会をやったところ、思いのほかたくさんの方が来てくれました。知的障害の方の作品を観る機会は少ないし、描いている方にも発表の場は大事だと思うので、今後も続けたいと思っています。

障害を持つ方に限られたコミュニティではなく、絵を通してたくさんの人たちがつながって、輪が広がったらいいなと思います。

国立新美術館夜景

画家/博物館アテンド/アート教室スタッフ/色鉛筆ワークショップ講師

WEB:http://furu-portfolio.sunnyday.jp

ターレンスクラブ記事「プロの机」:https://www.talens.co.jp/talens_club/prodesk/index.html

新美術新聞「画材考」第99回:http://www.art-annual.jp/column-essay/column/76844/

プロフィール

1980年 埼玉県生まれ。
1985年~1990年 アメリカ合衆国在住。
1995年 高校の美術部に入部。
1998年 美大受験のため、仮面浪人するも、不合格。高校からつながっていた4年制大学(立教大学)へ進学。文学部内の芸術系コースに転科。
2003年 大学卒業後、小学校英会話講師(AET)になる。人に教えることの面白さを実感し、その後の色鉛筆ワークショップ講師の下地となった。
2006年 武蔵野美術大学通信教育課程に編入。2年間在学。
2010年 東京国立博物館の運営のアルバイトを始め、9年間続ける。この仕事を始めた前後から、改めて作家として活動しようと決意。色鉛筆と蛍光ペンを組み合わせた独自スタイルを編み出し制作。
2010年~2018年、月光荘ムーンライト展に毎年入選。
2019年、2021年 近代日本美術協会展入選。
2018年~2021年 東京日本橋Art Mall にて4回の企画個展開催。
他多くの入賞、企画個展を重ね、現在に至る。

現在、何をしていますか?

画家としての活動をメインにしています。アルバイトで基本の生活費を稼ぎ、プラスアルファとして年に2回ほどの個展やそれ以外の展示、注文制作、既存作品やアートグッズの注文などの収入を得ています。

キャリアについて考えることを教えてください。

美大に行くことだけが画家になるための方法ではありません。一人一人の人生にとって自分なりの、自分らしく画業を育てるためのカリキュラムのようなものが、その都度用意されていて、それは技術を上げることとは別物の、絵を育てる大事な要素になります。美大に受かることが目的か、画家になることが目的か、人によってはそこで自ずとカリキュラムも変わってくるのかもしれません。

歩んでいく過程で人との出会いが何より大事だと思いますし、個展をやる今でも、個展中いただいた大事なお言葉はメモして残すようにしています。

なぜ絵を描き始めたのでしょうか?

高校の時に、一生続けられることを始めて、一つそれを本気でやりたいと思ったのが、そもそものきっかけです。そこから、画集を読んだり、予備校の講習会に通ったり、美術部の仲間と当時としては労力のいるセルアニメーション映画を作ったりなどして、絵にはまっていきました。

初めは油絵をやっていましたが、大学時はアクリル、そして今は10年以上、色鉛筆を主軸に蛍光ペンや筆ペン、パステルなど複数の画材を重ねるミクストメディアの手法で描いています。

進学時にはどんな考えを持っていましたか?

当初は美大受験を目指しており、高校卒業後、予備校の昼間部に入りました。しかしちょっとしたことがきっかけで、自分が高校時代に築いたスタイルを思いきって描くことができなくなり、成績が落ちていきました。
結果的に美大受験はうまくいきませんでしたが、この時にきつい体験をしていたことで、その後の画家としての活動では、自分の表現に対してオープンに人と関わることができるようになりました。今思えばこれも学びの一つだったのかもしれません。

私は回り道はしましたが、結果的に絵を描いて個展を企画画廊で行い、それを販売するというサイクルを組み立てられるようになりました。これまでの回り道で拾ったものに無駄なものは一つもなく、全てが今現在やっていることにつながって、絵の礎となっています。

これから、どんなことをしていきたいですか?

東京を活動拠点にしている最近は、3つ4つ先まで展示や個展の予約があり、作品をひたすら作らなければいけません。

セルフマネジメントは現代の画家にとって、描くことと同等に重要です。そのため、英語や、DTPなどのデジタル技術も交えながら、東京を拠点にした日本の各地域に根差した展示や、アメリカなどの海外への展示の働きかけ、また画家としてやっていくプラットフォームの構築に力をより入れたいです。

いいと思ったことは、本当に大事なこと以外はどんどん公開し、アートに関わる人同士がお互い手助けし、ともに栄えていくことが、全体としてアートが盛んになる鍵だと思っています。

読者へのメッセージ

芸大、美大、音大に限らず、むしろそこにそれまで所属せず、アーティストとして素晴らしい作品を作っている方はたくさんいます。

アートは、『ジョジョの奇妙な冒険』でいうところの、『スタンド』のようなものだと思います。一人一人が、それぞれの性格、経験、キャラクターが反映されたその人なりのものを持ち合わせており、それをどう大事に水やりして育てるかだと思います。

※スタンド…荒木飛呂彦の漫画作品「ジョジョの奇妙な冒険」に登場する、人のエネルギーが形を持った像として見える超能力現象。持ち主の本人の個性や特技が反映され、他人を攻撃したり持ち主を守ったりする守護霊のような存在。

画家

プロフィール

2014 “Visages”, LIUSA WANG、フランス、パリ
2010 “Solo Exhibition”, AMP Gallery, 東京 グループ展
2018 “after sunset”, LIUSA WANG, フランス、パリ
2015 “The world is not in isolation”, LIUSA WANG, フランス、パリ
   NHK Eテレ「バリバラ」絵画提供
2014 “Taku Anekawa/Kohei Akiba × ISETAN”, ISETAN新宿店 、東京
   ”Groupe 2014″, LIUSA WANG, フランス、パリ

現在していること

絵を描いています。
2年半前くらいから知的障害の方をみる仕事もしていて、それはすごくやりがいがあるし、絵も描けている。そうやって、なまなましく生きるのが僕の目標です。

キャリアについて考えること

僕は戦略みたいなものは知らないし、そういうのに興味もないです。以前は、世に出ること、有名になることは素晴らしいって考えていた自分がいました。だんだん考えが変わって、場合によっては趣味の延長と捉えられてもいいかなって思っています。

好きな絵を描いている自分がいて…。今はそれがすごくうれしいです。

なぜ絵を描き始めたのか

高校卒業後にフリーターみたいなことをしていて、通りすがりに美術予備校があったから勢いで入ったのが始まりです。なぜか褒められたり、自分の内面をかなり整理できたりして、これは続けるべきだなと思いました。

大学時代に考えていたこと

大学生の時は、絵描きになりたいなと漠然としか考えてなかった。知っているギャラリーはゼロだったし、知識もありませんでした。

卒業後、好きなギャラリーに直接問い合わせて「見てもらえませんか?」って言ったらそこで取り扱いが決まって。まぁ、宝くじみたいなものですね。

学生へのメッセージ

藝大が素晴らしいという考え方がもしあったら、そういう幻想は捨てるべきだと思います。予備校とかには多い考え方だけれど。でも実際はそんなことなくて、人間の脳みそなんて大して変わらないから普通なんだよね。

  • AkibaKohei