山碕 桜(YAMAZAKI Sakura)

会社員/アートマネジメント

現在、何をしていますか?

デベロッパーとして働き、まちづくりに関わっています。

大学までの道のりはどのようでしたか?

高校生の時にオペラの舞台に携わったんです。その時の皆で作り上げていく感じが好きで、こういう場づくりの一部になりたいと思うようになりました。部活でも、オーケストラ部でホルンを吹いていて、演奏家になりたいわけではないし、聴衆は年配の方が多いし、もっとクラシックをポピュラーにできる裏方になりたいなと思っていました。

それで大学ではアートマネジメントの研究室に行きました。ところが、音楽系だと思った研究室が実は美術系で(笑)。

最初は全然馴染めなくて、でもだんだん、無理に理解しようと思うよりは、まずは耳を傾けて現場に身を浸してみようと思うようになりました。そのうちに、現場でも対話できるようになり、スタッフとして動けるようになって、気づいたらのめりこんでいました。

なぜ今のお仕事に?

大学院に行きたい時期も少しあったけれど、そこから外に出ていけるイメージは持てなくて。現実的な観点も考えて、気づいた時には就職しようと考えていました。

当初はエンタメ業界を考えていましたが、ちょうど面談に入る頃にコロナが直撃で、業界は大打撃を受けていました。採用を見送る企業もありました。そこで、視野を広げようと思い、

  • 場づくりにたずさわれること
  • 変化を受け入れられる企業風土であること

の2点を軸に就活をしました。デベロッパーを目指したのは、就活支援会社による薦めがきっかけでした。

藝大には、一つのことをずっと熱量を持って続けている人がたくさんいました。彼らを見て、私の長所は、複数の草鞋を履いていろんな文脈を理解して拾って、人をつなぐことが得意なんじゃないかなと思ったんです。

キャリア選択を振り返って思うことがあれば教えてください。

これまで、リサーチ不足で新しいことを始めることが多くありました。

ただ、共通して言えるのは、いろんな人の間に立って調整しながらものごとを進めていく過程や、それを経て迎える本番やハレの場に魅力を感じていたということだと思います。

今後について考えることを教えてください。

最近は、まちづくりにアートが関わる場面が増えて来ています。

多くの関係者が納得できるものや、都市開発の法制度等を考えると、どうしても、角の取れた似たようなまちになりがちです。ただ、これから、魅力的なまちを増やすためには、アーティストが過去の表現を踏まえて新しいものを生み出すように、それまでのまちの文脈も含めて、まちに呼応するような個性の出し方ができるといいんじゃないかなと思っています。

しかし、不動産業界の人たちと、クリエイティブ側の方たちは、本来は意思決定の仕方が全然違います。まちづくりにおいて、合理的に考えてたどり着ける場所だけでなく、更に飛躍して面白さを出すために、一緒に仕事をしていくためのかけ橋になれたらいいな、なんて思いますね。

また、批判は絶対にあるものだと思いますが、それらを受け止め背負ってでもこういう開発をしたいと言えるような計画を出していかないと、まちを大好きな人たちには誠実でいられないんだろうなと思っています。
都市開発に関わる社員は、人数が多いと言っても同じ業界の限られた人たちです。そういう中で疑問を呈せるくらいの勇敢さを持ちたいと思います。

山碕さんにとって、キャリア選択とは?

いろいろ現実的な要素はたくさんあるけど、最終的には、私は欲のままに決断している気がします。

自分が身を置いているところを想像した時に一番わくわくするものを選べたらいいと思います。

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どんぐり企画とは

どんぐり企画とは、鳴海遥真(兄)と菜歩(妹)が立ち上げた演劇企画。”私たちの描く非日常は、誰かの日常かもしれない “をコンセプトに、会話劇を中心とした演劇活動を行う。
2022年9月に第1回公演「いつか、どこかで、だれかの」を神戸にて上演。現在はコアメンバー5人で活動中。

お二人は、いつから演劇を始めたのですか?

菜歩:高2の冬、進路を考えるときに、やりたいことがなかったんです。ただ、本を読むのもドラマや映画を観るのも好きでした。そこで、好きだけどできないこと、やったことのないことはなんだろうと考えたら、それが演劇でした。
読んだり書いたりするときに頭の中で映像化していることを、自分の体を使って表現できたら楽しいんだろうなと。そう考えて、演劇をやりたいと思うようになりました。

鳴海:元々演劇が好きというわけではなかったんです。でも、高校の文化祭で、毎年クラスごとに演劇をやるという行事があって、何故か高1の時から脚本を書いていました。それがきっかけでした。小さい頃から本を読んだり、ドラマを見たりしていて、どこかで作り手に回りたいという思いがあったのかもしれないですね。当時から、派手さで見せる舞台よりは、メッセージ性のあるものが好きで、高校時代は楽しかった分、大学でももっと演劇を深めたいと思って、演劇サークルに入りました。

どんぐり企画はどのように始まったのでしょうか

鳴海:大学では4年間演劇をしていましたが、社会人になったら、そんな余裕はないだろうと、演劇をキッパリ止めようと思っていました。ですが4年生の時、新型コロナウイルス感染症の影響で、卒業公演ができず不完全燃焼だったんです。また、実際に働いてみたら土日は暇だし、演劇できるじゃん!となりました。少しやってみて、活動できそうだと感じたので、いくつかの団体にも参加するようになりました。ちなみに仕事は、広告系の企画制作会社で働いています。文章やコピーを書くのが好きで、今2年目です。
こうして演劇を続ける中で、他人の劇団で迷惑はかけられないし、自分の好きなときに好きなようにできる場所を作りたいと思うようになりました。そこで、妹に声をかけて始めたのが、どんぐり企画です。この界隈では兄妹企画というものがあまりないのと、妹に脚本を書いてもらおうということも考えていました。

菜歩:私は、大学に入ったものの新型コロナウイルスの影響で授業がオンラインだったので、やりたかった演劇も思うようにできず…。
そこでとりあえず休学して、ピッコロ演劇学校に本科に週2回、1年通いました。そこで初めて演劇をしっかり学びました。その後、2月ごろ、ちょうど復学を決めたタイミングで兄から連絡がきたんです。「兄妹企画みたいなのやらん?」って。面白そうだったのでノってみたら、脚本をほぼ初めて書くことになりました。
短い脚本なら一度、中2の時に書いたことがありました。「眠れる森の美女」をもじって「眠れる山のおっさん」という題で、宿泊行事のクラス発表で。でも皆お芝居なんて初めてだから、全然上手くいかなくて。悔しかったです。

鳴海:「兄妹企画みたいなんやらん?」「詳しく聞こうじゃないか」これが始まりでした。妹は本を読んだりドラマを観たりしていて、物語を書いているのも見たことがあったので、脚本を任せてみたいなと思ったんです。

どんぐり企画で、作りたい作品や、観てほしいお客さんはいますか?

菜歩:どんぐり企画では、演劇を知らない人にも共感しやすい、日常というテーマを扱っています。小劇場を観に行くと、分かる人にしか分からない作品も多いんですよね。中高時代から、皆、演劇には興味がないんだなと感じていました。そういうのを変えたいと思って。
だから、演劇関係者でも家族でもない人に、本当は観てほしいです。彼らの目に留まる方法を探したいと思うけど、難しいですね。

鳴海:演劇は演劇関係者だけで経済が回っている。制作や広報をするときに、よく心に留める言葉です。映画やドラマみたいに、演劇に興味のない人も、観て楽しめる作品を作りたいと思います。
今回の公演は、私たちの親戚も含めて、普段演劇を観ない人も来てくれて、彼らからは好評だったのが嬉しかったです。最初はそうやっていろんな人が来てくれたので、僕たちにとってはある意味、第2回の公演が勝負かもしれません。

第1回公演に向けては、どんなふうに進んだのでしょうか?

鳴海:演劇だけでなくて、いろいろな企画を出来たらと思っていたので、”〇〇劇団”という名前にはしたくなかったんです。「どんぐり」という名前については、祖父母が開いている、どんぐり文庫という、本を貸し出す小さな図書館にルーツがあります。祖父母も高齢になってきていて、いつまで続けられるか分からないので、形態は違うけど名前を引き継げたらいいなと考えました。

菜歩:私も兄も、どんぐり文庫で本に囲まれて育ちました。それがなかったら私はたぶん演劇に興味を持っていなかったと思います。
公演に参加するメンバーは、知り合いをスカウトしつつ、SNSなどで一般公募しました。

鳴海:知り合いばかりになると、身内ノリになってしまう。誰が来るか分からないリスクはありますが、外からの意見を取り入れて、開かれた集まりにしたいと思いました。

菜歩:実際、大学生から社会人、私の演劇学校の知り合いまで、いろんな方が来てくれました。

これから、どんぐり企画とお二人それぞれは、どのように進んでいくのでしょうか

鳴海:私には仕事があるので、お芝居は平たく言えば趣味のようなものです。好きなことを好きな人と作り、それをある程度たくさんの人に見ていただくということを、5年10年、変わらないスタイルでやっていきたいです。参加する役者や、脚本を書く妹が、そこから発展して社会に評価してもらったり、どんどん成長してくれたりすると嬉しいなとは思います。生活に直結していないからこんなことを言えるのかもしれないけれど。

菜歩:今、演劇をしたいと言っている兄がいて、演劇ができて脚本が書ける場所があるという、私にとってはとてもおいしい状況なんです。どんぐり企画の方向性については、言い出しっぺの兄が好きなようにすればいいかなと思ってます。例えば、大きくなりすぎると、これまで参加してくれたような社会人が演劇をする場がなくなってしまう。だから、今の規模感でいいんじゃないかな。
どんぐり企画とは別に、自分自身がこの先演劇にどう関わるのかは、これから考えていきたい部分です。

”お話ありがとうございました。本に親しんで育った2人が思い思いに進み、いつしか演劇に関心を持ち、交わってどんぐり企画を立ち上げたという経緯、とても興味深かったです。社会人と学生、まだまだ状況は変わっていくと思いますが、その時々の生活とのバランスを取りながら、時に冷静に、時にどん欲に、作品を作り続けていくのではないでしょうか。”(聞き手:小澤杏実、戸島由浦)

会社員(音楽業界)/鍵盤奏者

プロフィール

1998年 奈良県生まれ。
2022年3月 東京藝術大学音楽環境創造科 卒業。

在学中からその後現在にかけて、レコード会社等で働きながら、ヒルネ逃避行でのバンド活動、その他演奏活動を精力的に行う。

現在、何をしていますか?

レコード会社で音楽の制作や宣伝周りの仕事をしています。
仕事と並行して、「ヒルネ逃避行」というバンドに、キーボード担当で参加しています。

今の業界に入ったきっかけを教えてください。

音楽専攻だったこともあり、もともとPAのアルバイトをしていました。

2年生の時に研究室のメーリングリストで流れてきた、音環の先輩が立ち上げたライブハウス・アイドル現場のPAの募集に応募したのが、ある意味、今の業界の仕事につながる最初のきっかけですね。

PA以外にもピアノ演奏や仮歌、楽曲提供などを任せていただけることが徐々に増えていき、だんだん”仕事”っぽくなっていった感じです。

なぜ今のお仕事に?

バイトをきっかけに、学生のうちから色んな現場や仕事があるのを知っていきました。

その経験を踏まえて、様々なジャンルの音楽を取り扱っているレコード会社を中心に、音楽業界で働くことを目指して、就活したりしました。

でも、そもそも新卒採用がなかなかない業界だし、コロナの影響もあり、もう1年大学生をしながらよく考えることに決めました。

今までを振り返って思うことがあれば教えてください。

自分はどちらかというとゼネラリストで研究者タイプじゃないなと分かっていたし、就職するだろうな、とは、入学する前から思ってました。

(いわゆる就活らしい)就活は完璧にはできませんでしたが、バイトきっかけの仕事を通じてほかの会社の人に出会ったり、現場でアーティストに顔を覚えてもらったり、結果として就職につながる行動は結構していましたね。

キャリアのことを考えてそうしたっていうより、自然とそうなったというか…。自分ができるPAのことをしたり、演奏は好きだからピアノ伴奏を引き受けたり、そもそも音楽が好きだから仕事を続けたりして、結果としてこうなっている、という感じです。

学生時代は、行動はバタバタと迷走したこともあるけど、気持ちに迷いはなかったと思います。

キャリアについて考えることを教えてください。

(例えば、)公務員は比較的安定していて安心だと思うけど想像がつかないとか、
先生には憧れるけど向いてないなとか、
自分に向いてないのを省いていって、でも、絶対に譲りたくないところ、私で言う「音楽の仕事をする」ということの中でできることを選んできた感じですかね。

個人として、会社以外の人とも人脈をつくり、働く選択肢を持っておくことが、今の時代で音楽の仕事を続けるには重要かなと思って頑張っています。

会社員/作曲家

プロフィール

1995年 埼玉県東松山市生まれ、千葉県柏市育ち
2011年 《作曲の会「Shining」》入会
2012年 高校生作曲集団《Con brio!!》を設立
    高校卒業までに2公演を企画・開催

2014年 東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科 入学
在学中、学内で《専攻外吹奏楽の会》を発足。その他、研究としての作品制作、映像作品への音楽提供、学内外での演奏会企画・開催など積極的に活動。

2018年 エンタメ業界の会社に入社
2018年 21世紀の吹奏楽 第22回“響宴” 入選
2019年 第52回JBA「下谷賞」 受賞
2019年 BS-TBS「土曜デラックス」OP音楽を担当
その後現在にかけて、会社員・作曲家として活動中

現在、何をしていますか?

新卒でエンタメ業界の会社に入社し、採用・社内教育など主に人事関係の仕事をしています。
また、休日など空いた時間で作曲家としても活動しており、主に吹奏楽や管楽アンサンブルの作品を制作しています。そこから派生して、高校の吹奏楽部の指導や、演奏会のプロデュースなども行なっています。

キャリアについて考えることを教えてください。

Web上で様々な投稿・配信方法が発達している現在、その人のバックグラウンドに関わらず誰にでも表現活動のチャンスがあると思います。

また、『二足の草鞋を履く』という言葉には否定的なイメージが付く場合もありますが、これからの時代、草鞋の組み合わせ方がその人の個性として尊重されるようになるのではないでしょうか。

なぜ作曲を始めたのでしょうか?

中学から吹奏楽部で学生指揮を務めていて、それをきっかけに多くのスコア(吹奏楽全体の総譜)を読むようになりました。そのうち自分でも作れるのではないかと考え始め、部内で演奏するための楽譜を書き始めました。

その後、高校1年の時に入会した《作曲の会「Shining」》という作曲家集団で、その当時に大学生・大学院生だった会員から、進路選択やキャリアの考え方について様々な影響を受けました。

大学進学時にはどんな考えを持っていましたか?

当初は、作曲家として活躍することを夢見て東京藝術大学の作曲科を目指し、高校1年から受験に向けた準備を始めました。しかしその後、作曲団体での活動に注力するにつれ、作曲そのものの学習を思うように進められなくなる時期がありました。

そこで改めて自分のやりたいことを整理した結果、『誰かと一緒に何かをプロデュースして、その中のコンテンツの一つとして自分の作品がある状態』を作りたいのだということを漠然ながら考えるようになり、東京藝術大学の音楽環境創造科を目指すこととなりました。

就職する時にはどんな考えを持っていましたか?

高校時代に設立した作曲集団《Con brio!!》のメンバーの中には、私が企画した演奏会をきっかけに本格的に作曲家を目指すようになった者も複数います。私には、ある意味で彼らを道連れにしてしまった責任をどこかで取らなければならないという思いが強くありました。そのためにまず、自分は作曲を職にするのではなく、音楽芸術全体を支え活性化させる『裏方』に回ろうと決心し、結果として今の会社にご縁があり就職することになりました。

現在、《Con brio!!》のメンバーはそれぞれの道で活躍し始めています。いつか、今度はより大きな舞台で、一緒に何かを作ることが夢です。

これから、どんなことをしていきたいですか?

エンタメ業界の裏方として、また、作曲家として、今後も二軸のキャリアを歩んでいきたいと考えています。
表現者の目線を持っているからこそ生み出せるアイデアがきっとあると思います。芸術と社会の架け橋として様々な方に頼っていただけるような存在になりたいです。

KondoNoritaka

IT系会社員/ピアニスト

プロフィール

1995年生まれ。オーストラリア生まれの千葉県柏市出身。
幼少期から多数の演奏・受賞を経験し、東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校へ入学。
2015・2017・2019年 ラ・フォル・ジュルネTOKYO出演
2016年 第17回ショパン国際ピアノコンクールinASIAコンチェルトC部門アジア大会入賞
2017年 第11回八潮市新人オーディションにて審査員賞受賞。その後2018年同市でリサイタル開催。
2018年 ベトナムにてベトナム国立音楽院と藝大によるVNAM × GEIDAI Collaborative Concert に大学推薦で参加。
その他多数の出演を経験。
​ウィーン国立音楽大学で開催されるウィーンナームジークセミナーに受講費免除で参加。
東京藝術大学音楽学部を経て、2021年3月、東京藝術大学大学院室内楽科を卒業。
現在は都内でSEとして働きつつ、演奏活動を行っている。

現在、何をしていますか?

会社ではSEとして、アプリの開発、プロモーション、運用をしている課に所属しています。私はプロモーションがメインです。
ピアニストとしての活動もしています。会社が副業禁止なこともあって、先日は投げ銭チャリティコンサートをしました。無料で気軽で、奏者も聞き手も楽しめる演奏会をしたいですね。会社の人も応援してくれていて、仕事以外の活動も受け入れてくれる雰囲気を感じます。

これまでの経験が役立つ場面はありますか?

ずっとお客様を相手に演奏をしてきたからか、どういう人に、どういう価格で売るか、お客様を相手に売るっていう考え方に、比較的慣れている気がします。私は演奏側だったけど、その過程で舞台の裏側にも首は突っ込んできたので、ユーザー目線過ぎないのもいいところかなぁと思っています。 
役立つ引き出しは他にもいろいろありますね。計画的に動きたい性格とか(笑)

なぜ就職したのでしょうか?

何年も藝大にいて先輩を知っているのに、あまりに満足できる収入を得て生活できる例を見れなくて。私は、お金がなくても頑張れるタイプではないので、フリーランスで演奏家としてやっていくのは無理があるなと思ったんです。新卒というカードはデカいので、安定を求めて就職するなら今だと思いました。 
『手に職』であるピアノと、ITは通じる部分があると思います。将来性のある仕事ですし、ちゃんと教育してくれる会社に入ればこの先の選択肢が広がるなと思って、就職しました。

これから、どんなことをしていきたいですか?

長期的な目標はあまり立てないほうですが。とりあえずは数年間、本業とピアノ、二つのことにやりがいを持って活動したいですね。
音楽にITを活かすという意味では、チケットとか、プログラムとか、今はアナログが普通のものを電子化してみたいです。逆に、ITに音楽を取り込むという意味では、職場での小さな振舞いの積み重ねで、『音楽業界に向けてのIT進出もアリなのかも』と周りに思わせていきたいという野望があります。

何かモットーはありますか?

やりたいと思ったことにすぐに動くようにしています。何かのためにってなった瞬間に、やらなきゃってなるから、その前に動きたいですね。頑張ったらいつの間にか手札が増えていて、そしたらいつの間にか選択肢を選べるようになっていて。その選ぶ時が楽しいです。

  • AriumiYukari